さわやか次郎の「生活巧者」ブログ〜50歳で引退〜

50歳での引退を目指し日々の生活を有意義にそして賢く生きるために実践している日常を綴ったブログ。節約・倹約・投資・小遣い稼ぎ・時間の使い方・家族との関係など

「ベーシックインカム」という概念が生まれた理由をワタシなりに考察する。

ベーシックインカム
 最低限所得保障の一種で政府が全国民に対して、
 決められた額を定期的に預金口座に支給するという政策

初めにこの言葉を聞いた時には、
全く理解できなかった。

要は国民全体に年金を支給するようなもの。

 

財源は?

どうして働かない人にもお金を渡すの?


でも、
ワタシ自身、

これまで、
なぜ人は働くのか?
働くことの意味、
資本主義とは何か?

みたいな本を何冊か読んでいるうちに、

 

なぜ「ベーシックインカム」のような概念が生まれたのか、
色々と考察する機会に出会った。


ワタシは
もはや今の世の中は
「週休3日制で1日6時間労働」で充分ではないか!?
という持論を持っている。

 

そのことはワタシのブログでも何回かつぶやいたことがある。

 

この持論自体も本などからの受け売りではあるのだが、
これも「ベーシックインカム」の概念に繋がる部分がある
と思っている。

 

要はいまの世の中、
モノやサービスがあふれ返り、
これ以上の進化・発展がなくても充分に生きていける世の中になった。

 

そしてテクノロジーは研ぎ澄まされ、
人間の労働の手を借りなくても充分な生産力を身に付けている。

 

一方でなぜ人は働くのか!?と言えば、
生きていくためにお金が必要であるからである。

 

そのお金を稼ぐためにワレワレは、
旧来のシステムである、
「週休2日制で1日8時間労働(残業あり)」の労働条件(パッケージの中で
働くことが必要になってくるわけだ。

 

だが昔のように、
「週休2日制で1日8時間労働(残業あり)」の労力を費やすほどの
本質的に必要な労働というのは実はもうそれほど多くは残っていない。


ところがワレワレは与えられた労働時間(パッケージ)内に、
一生懸命に働かなければならないいけないわけで、

 

その結果、
「ブルシットジョブ(クソどうでも良い仕事)」を生み出し、
「過剰生産」や「過剰スペック」を追い求め、
研ぎ澄まされたマーケティング技術を駆使して、
ワレワレ市民に対して、
「本当はそれほど必要のないものを売り込む」
という事態が発生している。


まさに
「資本主義の終焉」を唱えている書籍はいくつも目にした。


これまでは
人による労働が生産を生み、
人がお金を生む。
「労働=お金」という概念があったが、

 

今はテクノロジーが生産を生み
テクノロジーがお金を生む。
「テクノロジー=お金」ようになったわけだがら、

 

人がやる仕事自体が減っていて、
でもどうしても人がやらなければならない仕事だけを

みんなでシェアすれば、

1人の人が1日12時間かけてやっていた仕事を
2人でやれば1人当たりは1日6時間労働ということが実現する。

 

また、
お金はテクノロジーが生んでくれるわけだから、
そのベースの収入は人間が働かなくてもテクノロジーが稼ぐことにより、
ベーシックインカム」のような概念が成立する。

 

そして労働自体を
週休3日とか、
1日6時間とか、
の労働条件(パッケージ)事態を見直してしまえば、

その労働条件(パッケージ)に添った仕事にシフトするし、
ベーシックの給与は保証されているわけがから、
1日6時間以上の無駄な仕事をしようとすることもない。


これまで労働に費やしていた時間が軽減されたら、
人はどうなるのか?

そう、
人はもっと遊べば良いのである。

 

・なぜ週5日間1日8時間働かなければいけないのか?
・なぜ有休が満足に取れないのか?
・なぜこんなに無駄な仕事が多いのか?
・なぜ残業までしてやる必要があるのか?

 

このことを人はもっと疑問に思い、
ここから解放されることを求めるべきである。

 

もうあくせく働くほどの仕事は、
今のこの世の中にはそれほど多くは残っていないのだから。