さわやか次郎の「生活巧者」ブログ〜50歳で引退〜

50歳での引退を目指し日々の生活を有意義にそして賢く生きるために実践している日常を綴ったブログ。節約・倹約・投資・小遣い稼ぎ・時間の使い方・家族との関係など

「働かないオジサン」を地で生きるサラリーマンの処世術!!!

ワタシは、
育ち盛りの子供2人を抱えながら資産形成をし、
50歳(あと4年)で今の会社を退職することを目標に活動しています。

そんなワタシの今の会社との向き合い方は、
「完全なる逃げ切りモード」
です。

この辺りの詳細については、
下記ブログで投稿していますのでご確認ください。

sawayakajiro.hatenablog.com


そんな中で今回、


楠木 新氏 著

「働かないオジサンの給料はなぜ高いのか」

という書籍を拝読いたしました。

働かないオジサンの給料は に対する画像結果

 


働かないオジサンの給料はなぜ高いのか?
のカラクリは、

日本型の企業体系によるところが大きいとのことですが、

 

かくいうワタシも多分に漏れず、
「働かないオジサン」というカテゴリに分類されるのでしょう。

 

早々と出世競争から離脱したにも関わらず、
勤続年数が長いというだけで給料だけは毎年上がって行き、
いつの間にか、
「働かないオジサンの給料はなぜ高いのか」
の当事者となってしまった。。

という感じです。


「働かないオジサン」問題については、
日本社会全体を考えると当然改善されて然るべき課題と思いますが、


ワタシのような
「働かないオジサン」を個人レベルから見ると、
しっかりとした意思を持って「働かないオジサン」という立場を活用した上で、
そんな職業人生もつまらないので、
必要な資産が貯まった時点でサラリーマンをとっとと引退しよう!

 

と考えています。
つまり「働かないオジサン」は資産形成をする上での
選択肢のひとつとして捉えています。

 

「働かないオジサン」を抱えているのは、
会社や日本社会の問題であり個人レベルで考えれば、
「うまく利用すれば良い!」と考えれば良いと思っています。

 

さて、
楠木氏の同書では、
冒頭に3人の知人の話が出てきます。

 

いずれの3人も、
「会社に自分の人生を捧げて生きて来た」
故の問題が発生しており、

 

会社に傾倒してきたことが
人生の全てであり、
会社を除いた自分の人生のアイデンティティ
確立していなかったことによる問題である。

 

特に日本のサラリーマンはこの傾向が強いのではないでしょうか。

 

本来は、
会社での出来事や会社での人間関係なんて
自分の人生の一部でしかない、

と捉えることができれば、

もっと楽に、
もっと充実した人生を選択できたのではないかと思います。

 

あともう1点は資産計画の部分である。
会社に自分の人生を捧げるわりにはそれに反して、
自分の人生の資産計画についてはまるで考えていない。

 

会社への情熱をもう少し自分の資産計画に振り向けていれば、
「働かないオジサン」と会社で揶揄されながら、
辛抱してお金のために働き続けるということも
回避出来たのではないかと思います。


では、見ていきましょう!

 

1人目、
【K君】
 著者が4年前にK君に会った際、
 「会社の同期が毎年次々と課長職に登用されるのに自分だけ取り残されています。」
 と意気消沈していた。
 しかし会社を辞めるつもりはなく、今の営業の仕事は嫌いではない。
 住宅ローンは抱えておらず、K君はあるアウトドアスポーツがとても好きだという。
 「出世できないことが確定的で、住宅ローンもない。
  仕事は嫌ではなく、しかも好きなことがある。
  キミ、それマラソンで言うたら、トップグループを走っているでぇ」

   と著者はK君に語った。
 あれから4年。
 現在のK君は、仕事を続ける傍ら、

   そのアウトドアスポーツのインストラクターをしている。
 シーズン中の週末になると必ず現場に向かう、という。
 また、インストラクター仲間の大半はサラリーマンや教員で、
 彼らと交流するのが、この上ない喜びであるという。
 面白かったのは、当時よりも会社の仕事をスムーズにこなせるようになり、
 2年前に課長職にも昇格していた。
 著者はK君に
 「たとえ評価されても組織の端のほうにおらなあかんで」
 「分かっています。トップグループを維持しないといけませんから」
 K君はは笑って答えた。

 

 ➡(さわやか次郎コメント)

       K君の場合は、
  同期という単なる会社が構築した横並び出世競争という仕組みの中で、
  同期のほとんどが課長職に登用されているのに自分だけ取り残されたことに
  劣等感を感じているという状況だ。
  K君は課長になりたかったのか?
  それともみんなが課長になっているから自分も課長になりたいと思ったのか?
  仕事という観点からみると辛い経験だったかもしれないが、
  自分の人生という観点からみると今の給料が減額されるわけでもなく、
  資産形成の観点からしても人生に躓いたということでは決してない。
  会社の出世競争というひとつレースの中で一時的に少し遅れているだけの話である。
  そしてK君は、
  仕事は嫌ではなく、趣味のアウトドアスポーツもあって、
  さらに住宅ローンもないと来たら、
  楠木氏のアドバイス通り、
  むしろ人生としては、
  「キミ、それマラソンで言うたらトップグループを走っているでぇ」ということになり、
  ワタシも心からそう思います。
  激しい出世競争を勝ち抜いて偉くなったところで、
  それは会社内だけの話であり、
  「自分が偉くなった」わけではなく、
  「会社あっての自分」が偉くなっただけの話である。

 

  

2人目
【Mさん】
 Mさんは、
 長く支社長として重責をこなしていたが、
 数年前に本部のスタッフ職に異動になった。
 50代半ばなので、もう「あがり」という感じだろう。
 いまは営業をサポートする仕事だが、
 やはり現場のトップとして働くのとは勝手が違うようだ。
 彼の言葉を借りると、
 「エネルギーをどこに持っていっていいのかわからない」という。
 40代から、こういう時が来るのではないかと思っていたが、
 忙しさにかまけて何も準備してこなかった。
 Mさんは今そのツケを払わされている。と感じている。
 住宅ローンの残債もあるし、子供が大学に入ったばかりなので、
 60歳以降も働かないといけない。
 評価を得るために営業一本で努力してきたことは後悔していない。
 ただ、これからどうすればいいいのか分からず、
 気力がわいてこない時があるという。
 Mさんは、著者が本を書いたというのを聞いて様子を見に来たようだった。
 彼と話をしていると、
 10年前の私(著者)自信を見ている思いがした。
 事務室を去る彼を廊下まで見送って、その後ろ姿に「少し時間がかかるぞ。
 でも互いに頑張ってやっていこうぜ」と声をかけた。

 

 ➡(さわやか次郎コメント)

  Mさんの場合は、
  人生とは諸行無常であるという認識に欠け、
  仕事の忙しさにかまけて将来を見据えることを怠ったことによる
  弊害ということになると思います。
  支社長を経験して、
  その先の出世ポストはますます狭き門になる中で、
  自分はその先も更に出世をしてサラリーマンとして
  更に充実した人生を送れると思っていたのだろうか?
  諸先輩方々の中には、
  出世をした方も居れば「あがり」となった方も居たと思うが、
  出世することの想定はしていたが、
  もう一方の「あがり」となった自分は想定できなかったということだろう。
  
  またMさんは住宅ローンの残債もあり、子供も大学に入ったばかりで
  60歳以降も働かないといけないとのことで、
  果たしてMさんは、
  50代半ばでおおよそ30年以上を働きながら、
  ましてや支社長まで経験された高給取りであるにも関わらず、
  60歳以降も働かないといけないという状況は、
  資産形成の観点からすると、
  無計画極まりないおそまつな状況である。
  そうなるまでの30年間に何をやっていたのか?
   
  50代も半ばなので、
  健康面も含めて働けなくなるリスクも考えて、
  高給をもらっている間に、
  住宅ローンの残債や子供の大学資金くらい工面しておけよ!
  と思わず突っ込みたくなります。

  この辺りのお金のしがらみを少しでも軽くしておいていれば、
  「働かないオジサン」となった自分がミジメで耐えられないとなった時に、
  仕事を辞めるという選択肢も取れたのではないか。

  著者が、
  「10年前の私自信を見ている思いがした」と言っているが、
  M君は気が付くのが10年遅ったということになる。

  諸行無常である。


 

3人目、
【Iさん】
 Iさんは著者と学生時代の知人で上場企業の役員になっていた。
 同窓会の場で、
 「お前(著者)がうらやましいよ」とIさん。
 「何言うとんねん。バリバリの出世頭が。オレなんか小さな仕事や。
  ホッチキスも自分で綴じてるし。エライさんだと、俺の何倍もの
  大きな仕事ができるじゃないか」と著者。
 周囲から見れば、一本道で組織の階段を駆け上がったIさんも、
 必ずしも満足しているわけではない。
 それはサラリーマン共通の悩みかもしれない。
 しかもIさんは、上場企業の現役役員であることを同級生の前では気恥ずかしい、
 と思っているそぶりが見える。学生時代の仲間の会なのに、
 彼は言葉を選んで話していて、口数も昔ほど多くない。

 

 ➡(さわやか次郎コメント)
  「働かないオジサン」とは毛色が少し異なると思うが、
  Iさんの場合も会社に自分の人生を捧げて生きて来たが故の問題があり
  Iさんの人生が完全に「会社あっての自分」となって、
  仕事のしがらみなんてない同窓会の場においても、
  自分の素を出せずに口数も少なくなってしまっているという状況である。

  果たして、
  出世競争を勝ち抜いて上場企業の役員となったIさんの人生は
  幸せなものなのだろうか!?

  ワタシも、
  日々通勤なので都内のビジネス街を歩いていると、
  「ザ・お偉いさん」という風貌のサラリーマンを目にすることがあります。
  あっこの人は偉い人だな。高そうなスーツを着て、
  雰囲気だけで「お偉いさん」とわかります。
  
  でもこの人だって、
  お風呂に入るときは裸になるし、
  夜寝るときはパジャマに着替えて寝るんだなと。

  問題はそういう日常になった時でも素敵な人であるかどうか

  「会社あっての自分」という側面と、
  それとは別に、
  「自分あっての自分」をしっかり生きているか?というところが
  日常に表れるのだと思います。

  Iさんの場合は「自分あっての自分」という生き方をして来なかったために、
  同窓会ですら素の自分をされけ出すことができなかったということです。

  そしてホチキスの話も妙ですが、
  ワタシさわやか次郎も偉くなって誰かにホチキスを綴じてもらう人生よりも、
  楠木氏と同じように自分でホチキスを綴じれる人生の方が素敵だなと思います。


以上、3人の登場人物と、
「働かないオジサン」を地で行き、
会社からの「完全なる逃げ切りモード」で会社と向き合っている
ワタシさわやか次郎の観点を交えてコメントを追記いたしました。

 

いかがでしょうか。


いずれの3名とも、
会社を資産形成をするための手段の一つとして考えれば、

別にリストラにあって職を奪われたわけでもなく、
引き続き今の会社から給料をもらって生活していく分には、
なんら躓くような点は一つもない。

そして、
会社を資産形成をするための手段の一つとして考えれば、
安定的な収入(高給)を得ているうちに、
将来のための貯蓄をして資産形成をし、

 

うまく行けばそのまま仕事を続けるも良し、
うまく行かずに辞めたいと思ったときには
いつでも辞められるような状態をつくっておく。

 

とかく、
今の日本の社会制度は、
高度経済成長期の人材を抱え込むことをベースに考えられた
社会システムであり、

何も考えずにサラリーマンをしていれば、
いつの間にか会社と自分がずぶずぶの関係になって、
離れようにも離れられなくなってしまいます。

先ほどのMさんのように、
住宅ローンの残債があるということは、
将来的な会社からの給料をアテにして組んだものであり、
大学生になる子供の学費を払っていくのも、
仕事を続ける前提だったので、
それまで充分に準備して来なかったという状況です。

いつまでも会社の給料に頼らざるを得ない状況を
自ら作って行ってはダメです。

 

これからのサラリーマンは、

「ワタシは○○歳でサラリーマンを辞めることができました」

という指標が必要だと思っています。

「そんなに若くしてリタイア。素晴らしいですね!」

と、

 

逆にいうと、
「あなたはいつまでサラリーマンをやっているのですか?」

といった長くサラリーマンを続けて行くことが
淘汰されるような世の中になっていくのが理想と思います。

 

そのためには、

仕事に傾倒して一生懸命生きていく自分とは別に、

なるべく早くサラリーマンを引退できるように、

資産形成をしていく自分をつくって行けば良いと思います。

 

そして、

「働かないオジサン」になる前に引退できることが理想ですが、

それまでに引退後の資産形成が工面出来ていなければ、

 

「働かないオジサン」を地で行き、

その立場を大いに活用して資産形成を継続して行けば良いと思います。

 

そして資産形成が済んだら定年前にとっとと
引退してその先の好きな人生を生きて行けば良いと思います。

 

いかがでしょうか。

 

会社と自分がずぶずぶの関係の人生を

少しずつ見直してみてはいかがでしょうか。