さわやか次郎の「生活巧者」ブログ〜50歳で引退〜

50歳での引退を目指し日々の生活を有意義にそして賢く生きるために実践している日常を綴ったブログ。節約・倹約・投資・小遣い稼ぎ・時間の使い方・家族との関係など

サラリーマンのままでは幸せになれず格差が生まれる理由!

「投資家」>「経営者」>「従業員」

 

この度、
経営戦略コンサルタントである
鈴木貴博

『格差と階級の未来』

という書籍を拝読しました。

格差と階級の未来 に対する画像結果


この書籍の中で鈴木氏は、

経済の世界には、
「従業員」「経営者」「投資家」という異なる階級があって、

会社の利益を上げた際の取り分は
「従業員」よりも「経営者」が多く、
「経営者」よりも「投資家」の方が多い

このルールは当然の虚構(その社会で広く浸透している思想)
であると述べています。

また、
その虚構をドグマとして正しいことだと信じられているから、
制度として成立している。

特に日本社会では、
「経営者」の取り分が多すぎると社会から白い目で見られるという、
アメリカにはない社会的な考え方が浸透している。

社員の年収が500万円の会社で、
社長の取り分が1億円だと「高すぎる」
なぜか批判が起きるのです。

その一方で会社の利益について
創業家が配当金として1億円を受け取っている」
と聞いてもそれをおかしいとは思わないのです。

これは、

「投資家」>「経営者」>「従業員」

というコンセプトが資本主義社会では「正しいという虚構」
日本でも広く共有されているから起きている現象です。

と鈴木氏は述べています。


ワタシは都内の企業に勤めるサラリーマンですので、
主な側面としては「従業員」の立場として働いているわけですが、

ワタシの職場内にいる役員や上司、後輩なども、
会社の中ではそれぞれの立場というものがありますが、
どの社員であっても創業家社長でもない限りは
すべて「従業員」のカテゴリに含まれます。

 

鈴木氏の仰るように経済の世界において、

「投資家」>「経営者」>「従業員」

の不等式が成立すると仮定した場合、

「従業員」は3つのカテゴリの中では「最下層」に分類され、
会社の中で上位の立場である上司にしろ役員にしろ、
いくら頑張っても経済の世界の中では、
「最下層の中の上位」つまり「下の中の上」にしか
成り上がることができないということがわかります。

 

ワタシは、
幸いにも会社の中で
出世レースを勝ち抜いていくような
才能には恵まれなかったため、

限られた自身の人的リソースの中で、
いかに効率的に生きていくかを考えるようになり、
その一環としてお金の勉強をし資産形成を始めました

そして資産を増殖させ、
その資産を株式投資に投下することにより、
株式からの売却益や配当金を得るようになりました。

 

つまり、
「投資家」>「経営者」>「従業員」
のうち、

 

主には「従業員」の側面として会社に雇われて働きながらも、
他方の側面で3つのカテゴリのうち
「最上位」となる「投資家」としての側面にも
足を踏み入れることになりました。

そして、

「投資家」>「経営者」>「従業員」

の不等式は、
決して頑張った分だけ上位のカテゴリに進むわけではなく

「従業員」や「経営者」としての「人的資本」で稼ぐよりも、
「投資家」として「金融資本」で稼ぐ方がはるかに簡単だ
という現象が現実に起きています。


実際、
ワタシの職場でどういう現象が起きているかというと、

日々重責を抱えながら、
会社のために日々奔走しているワタシの上司たちが、

会社の査定で昇給やボーナスが
周りよりも数万円多い少ないの話をしている傍らで、

ワタシは自分の資産を「金融資本」へ投入することにより、
労せずして年間100万円以上の収入を得ているという
摩訶(まか)不思議な状態が発生しているというわけです。

そしてその資産は毎年右肩上がりに増えており、
「金融資本」からの収入も毎年増大していくものです。


前出の鈴木氏は、

お金の未来とは、
資本家が世界の富を吸い上げ続ける未来です。

そのような富の食物連鎖の仕組みを理解してしまえば、
未来のお金を手に入れる方法は簡単です。
お金が流れていく方向で待っていれば良いだけです。

資本家は労働者からお金を吸い上げるのが
資本主義の基本原理。
そのスピードが21世紀にはいって加速してきたのが
富の格差の根源の原因です。

2020年代にさらにそのスピードが増して、
AIが世界の労働の生み出す富を
レバレッジしながら吸い上げる世界が到来します。

その予測が正しいとすれば、
お金が欲しい人がやることはただひとつ、
お金が吸い上がる側にポジションをシフトすることです。

と述べています。

 

いかがでしょうか。

 

いつまでも会社の出世レースを目指して、
辟易とした人生を送ることが馬鹿らしくなって来ないでしょうか。