さわやか次郎の「生活巧者」ブログ〜50歳で引退〜

50歳での引退を目指し日々の生活を有意義にそして賢く生きるために実践している日常を綴ったブログ。節約・倹約・投資・小遣い稼ぎ・時間の使い方・家族との関係など

「会社をやめて生き方を変えることにした」を読んで自分の考えを言語化する。

ワタシは50歳(あと4年)でいま勤めるの会社を退職し、
セミリタイアする予定だ。

なぜいまの会社を辞めるのかというと、
答えは単純で、

ワタシの人生は会社のために働く人生ではないからだ。

いまの会社はあくまでも、
お金を稼ぐため生活するための手段として働いており、
将来的な生活の目途が立てば辞める、

ただそれだけのことである。

例えば、
1日8時間労働を週5日で土日祝は基本的にはお休み。
都内の大手企業の中堅サラリーマンなので、
給料もそれなりにもらっている。

周囲からは辞めるのは勿体ないと思うかもしれないが、
将来的な生活の目途が付くまで稼いだら、
それ以上は働く必要はないのだ。

それよりも、
1日8時間労働を週5日も拘束される毎日から解放されたい。

土日祝に休めるなら幸せな方では?と思うかも知れないが、
それは周りの労働者の中で比較した基準からすると
ましな方だというだけであって、

自分の人生を基準に考えると、
何も周りがワタシ以上に頑張っているからと言って、
ワタシも頑張ってその基準に身を置く必要性はないのだ。

繰り返すが、
ワタシの人生は会社のために働く人生ではないのだ。

ワタシのような考え方は、
マイノリティである世の中から受け入れにくい思想であるので、
なかなか言語化することは難しいのだが、

 

先日ある書籍を拝読して、
腹に落ちる言語化された記述があったので、
備忘録もかねて紹介したい。

「会社をやめて生き方を変えることにした」
 すずひら著

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著者は母親の病気(末期がん)が発覚し、
回復の見込みが立たずにホスピス(終末医療)で療養していた際に、

自分にとって重要でもない仕事に忙殺されて
母の最期を充分に看取ることができなかったことを機に
会社を辞めることを決意したことが綴られています。

(以下、書籍からの抜粋※一部省略)

母のがんのステージ4であると判明してからの自分の行動を
振り返っていくと、会社の仕事に振り回されてばかりだった。

仕事があるから月2回しか帰省できなかった。

母の最期の誕生日なのに、その時間へ集中できず、
仕事のトラブル対応のことで頭がいっぱいだった。

 

ホスピスに入居してからも、
母との時間はもう残りわずかだとわかっていたはずなのに、
ビジネスホテルとホスピスを1日に何度も往復したり、
母のむくんだ足をマッサージしながら仕事をしていた。
マッサージに集中して、その時間をもっと五感で感じたかった。

そもそも、なぜ僕にとってたいして重要でもない
「会社の仕事」にそこまで振り回されるような選択をしていたのだ。
そこを僕は責めたいし反省したい。 

いくら生活のためにはお金が必要と言ったって、
自分にとって重要ではないし向いてもいない行為を、
週7日しかないうちの5日間も朝から晩までやり、
時間も気力も捧げてしまうのは、さすがにおかしいだろう。
一度きりの人生の生き方てしておかしい。

しんどさや違和感を持ちながらも
「週5日働くのが当たり前」な空気に沿って働いて、
「他人に管理されながら他人の事業へ労働力を提供する」
という自分の気質には向かない働き方をして、
生活の大半を支配される状態を10年以上も続けてきてしまった。
そのことを僕はおおいに反省しなければいけない。
そして反省するとは、同じことを繰り返さないという意味であり、
つまり会社を辞めるということだ。

(書籍からの抜粋はここまで)

いかがでしょうか。

現在のサラリーマンの中で、
仕事ではなく病床の母との時間を優先できる人が
どのくらいいるだろうか、

書籍の記述でもあるように、
僕にとってたいして重要でもない
「会社の仕事」にそこまで振り回されるような人生を
大半のサラリーマンは選択しているのだ。

ワタシはそんな選択をしたくないので、
将来的な生活の目途が立てば会社を辞めるし、

将来的な給料をアテにするような借金をしたりしないし、
資産形成を計画的にやっていくのだ。

 

ただそれだけだし、
人間として当たり前の選択だと思うのだが。