さわやか次郎の「生活巧者」ブログ〜50歳で引退〜

50歳での引退を目指し日々の生活を有意義にそして賢く生きるために実践している日常を綴ったブログ。節約・倹約・投資・小遣い稼ぎ・時間の使い方・家族との関係など

つぶやきブログ(4)~粛々と家族葬~

ごくごく一般的なサラリーマンとして働き、

妻子の家族を持って日々を過ごしている。

自分としては自分がサラリーマンとして働き給料を得ることで、

家族の基本的な生活を下支えしているという自負は少なからずある。

 

毎日家族が起きる前に出社し夜遅くに帰宅する。
頑張っても毎年劇的に給料が増えるわけではないが

毎月安定して支給される給料は本当にありがたいものだ。

 

しかしながら、毎日朝早く出て夜遅くに帰ってくるためか、
夫や父親としてのワタシの活動というのは家族には見えにくいものだ。


給料が現金で支給されるものならともかく、

給与振り込みというものはもはや誰が稼いだお金かも感覚も薄れさせ、
毎月銀行口座にキチンと振り込まれてさえいれば、

誰が稼いだかはワタシ以外の家族にとってはそんなことはどうでもよい話なのだ。

 

そんな状況のためか、

ワタシが家族の基本的な生活を下支えしているという自負している

毎月の給料は当然稼ぐもの(もともとそこにあるもの)として全く評価されず、
それ以外にどれだけ家族に貢献したかでワタシの家庭内での評価が決まる。


これは非常に厳しい現実です…。
なんせ日々の大半の時間を過ごすサラーリーマンとしての活動が、家庭内では全く評価されないのですから。

 

 

前置きが長くなりましたが、、、

 

ある日妻と車で買いものに出かけた。

 

運転しながら外の景色を眺めていると、

コンビニエンスストアの跡地のような建て物に、

家族葬という大きな看板が掲げられていた。


「へえこんなところに家族葬の葬儀屋さんなんてできたんだぁ」とワタシ。

 

この度のコロナを機に、

断捨離・節約を実行し、

よりシンプルに生きようと心新たにした時期でもあって、

 

そうだな。

オレが死んで皆に通夜や葬儀に足を運んでもらうのも煩わしいなぁ

と思ったワタシは、

 

「オレが死んで皆に迷惑をかけるのも嫌だから、こういう家族葬みたいところでいいからな」と妻に、

 

妻から会心のひと言、

「ふーん、ところで家族いるの?」

 

なっなぬ?

一瞬耳を疑って凍り付きそうになる・・・。
(いま運転席の横に座っているのはワタシの妻(つまり家族)ではなかったか?)
(しっしかも2人の子供もいるはず)

 

そうか、
家族葬をやるのでさえ、家族がいて初めて成り立つもの。
ワタシの残りの半生の取り組み方しだいでは、
家族がワタシの元を離れ、
ワタシが死ぬ頃には誰もいなくなっている可能性があるということか。

 

「そうか、そう考えてみれば家族葬も大変だな・・・」

絞り出すのが精いっぱいだった。